アクティベータの歴史
海外編
年 | できごと |
1914 | 12月8日、共同創始者Warren C. Lee, D.C.、ミネソタ州Villardに生まれる |
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1941 | Warren C. Lee, D.C.、Northwestern College of Chiropracticを卒業。卒業後はレジデントとして、Logan Basic College of ChiropracticにてHugh B. Loganの専門教育を学ぶ |
1958 | Arlan W. Fuhr, D.C.、Logan College of Chiropracticに入学 |
1961 | Arlan W. Fuhr, D.C.、Logan College of Chiropracticを卒業 |
1964 | Arlan W. Fuhr, D.C.、ミネソタ州Redwood FallsにあるDr. Leeのクリニックにてアソシエイトとして働く |
1965 | Dr. LeeとFuhrは、アクティベータメソッドを開発する前、Logan BasicとTofnessのテクニックで施術をしていた。二人のドクターは、いつ、どの場所をアジャストすべきかを示すインディケータのようなものを見つけるため、絶えず矯正前と矯正後の反応を調べ、臨床実験を繰り返していた。 Dr. Fuhr Richiard Van Rumpt,DCのDirectional Non-Force Technique(DNFT)セミナーに参加。Rumptの足長差測定とダブルサム・ロック・ターグルリコイル・アジャスト法を使った矯正前および矯正後の分析法を学ぶ Dr. Fuhr、偶然にMabel Derefieldに出会い、相対的下肢長測定を使った骨盤分析のシステムの話を聞く Dr. Fuhr、内転筋隆起を使った下肢長測定のTruscott, D.C.,PhC(chemist)noSystem of Angular Analysis and Controlled Adjustingのテクニックも学ぶ Dr. LeeとFuhrは、仕事が忙しくなるに従い、繰り返し行なうターグル・リコイルによる矯正が、極度の疲労と筋肉痛を起し、両肘を急速に近づける動作が肘障害を頻繁に発生させることに気づき、身体負担を軽減し、しかもスピード、力、方向をコントロールできるようなスラスト方法はないかと探し始めた |
1966 | Dr. LeeとFuhr、地元の歯科医に相談し、アマルガムを虫歯の穴に押し込む器具「ダンタル・インパクター」を受け取り、サム・ターグルの変わりに、患者に使ったが不成功に終わる |
1967 | Dr. Fuhrの患者の歯科医が、親知らずを割裂する手術用のインパクト・マレットを持参し、二人はスカルペルを取り外してブレーキシュー・リベットと交換し、先端にドアストップ用の小さなゴムを取り付けてみた。 それを患者に試してみたところ好結果を示し、機能的には現在のアクティベータ器の原型となった。 Dr. LeeとFuhrは、この器具に改良を加え1976年まで使用した Warren C. Lee, D.C.とArlan W. Fuhr, D.C. は、この器具を「アクティベータ器」、カイロプラクティックテクニックを「アクティベータ・メソッド(AM)」と名づけた |
1970 | アクティベータ・メソッド・カイロプラクティック・テクニック(AMCT)セミナーが正式に開催される |
1972 | Dr. Lee、イギリスのBournemouthにて初の国際セミナーを開催 |
1974 | Dr. Fuhr、オーストラリアのシドニーでセミナーを開催 |
1976 | アイソレイションテストが偶然に発見される |
1978 | アクティベータ器は、米国特許庁から特許を取得。以後、医療業器具法に準じ、FDA(米国食品医薬局)に登録される |
1981 | Dr. Fuhr、AMCTセミナー出席者に「プロフィシエンシー・レイティング(技能等級)」資格を紹介 |
1982 | Dr.Lee引退。Dr.Fuhrは、AMCTの効果を主張するためには逸話風な証拠や臨床観察だけでは十分な証拠にならないということに気づき、彼の努力は、AMCT方式の科学的研究と出版に向けられ始めた |
1985 | Logan Collegeが、AMCTを選択科目として認めて以来、このテクニックがカイロプラクティック教育の主流に加わり、ほとんどのカイロプラクティックが選択科目として、AMCTを教え始めた Dr. Fuhr、「脊椎矯正のための施術器の安全性と効果」と題する研究プロジェクトに対して、国立衛生研究所(NIH)より助成金を与えられる |
1987 | Dr. Fuhr、カイロプラクティックの基礎科学研究、臨床研究、史学研究および、奨学基金を募るため、カイロプラクティック・リサーチ統合研究機構(NICR)を設立 |
1994 | アクティベータⅡ型器に改良 |
1998 | 米国カイロプラクティック審査委員会、カイロプラクターが使っている矯正テクニックの割合発表。 アクティベータは2番目に多く使用されているカイロプラクティックテクニックとなる |
2000 | 共同創始者のDr. Warren C. Lee (1914- 2000) 他界。享年85歳 |
2001 | アクティベータⅢ型器に改良 |
2002 | アリゾナ大学の統合医学プログラム(University of Arizona Program in Integrative Medicine)にアクティベータメソッドの研究が発表される。アクティベータのカイロプラクティックプログラム(40時間コース)に医師たちが出席 カイロプラクティックの原理と業務 スコット・ホルドマン(Principles and Practices of Chiropractic Scott Haldeman New 3rd Edition)の第16章が全てアクティベータメソッドテクニックに関する章となる。(13,500語) |
2003 | アクティベータがJohns-Hopkins 統合医療/CMEのニュースレターに掲載される |
2004 | Dr. Fuhrが、日本で初めて国際基準のカイロプラクターを対象にしたAMCTセミナーを開催 |
国内編
日本国内での国際基準に基づいたアクティベータメソッドのあゆみ
年 | 月 | できごと |
1996 | 「アクティベータ・ベイシック・マニュアル」の日本語版(保井志之DC訳)が科学新聞社より出版される | |
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1997 | 7 | 保井志之D.C.が、Dr. Fuhrに招かれ、世界中のAMインストラクターが終結する恒例のAMI社インストラクターセミナー参加。この年「アクティベータ・メソッド・カイロプラクティック・テクニック(AMCT)」のテキストが全米で販売される。それを期に、保井志之D.C.が日本語版の翻訳計画を進める |
1998 | 7 | 保井志之D.C.が米国フィニックス州でのAMI社主催インストラクターカンファレンスに招待される。 |
1999 | 7 | 保井志之D.C.の招待客として 須藤一彦D.C.がインストラクターセミナーに同行。以来、二人のD.C.は、毎年、米国のファニックス州で開催されるインストラクターセミナーに招待され、日本国内での国際基準を対象にしたAMI公認セミナー開催計画を練る。 |
2000 | 3 | 伊藤彰洋D.C.・須藤一彦D.C.・増田裕D.C.・松浦晃子D.C.・保井志之D.C.の共同翻訳にてエンタプライズ社より「アクティベータ・メソッド・カイロプラクティック・テクニック(AMCT)」のテキストの日本語版が日本国内で販売される |
2001 | 6 | AMI会長Dr. Fuhrの指導の下、国際基準のカイロプラクター、並びにそれに準じた学生を対象に、米国で行なわれている卒後教育セミナーが日本国内で正規に開催される。当初、RMIT大学の日本校が主催となり、AMセミナーを継続させる予定であったが、事情により大学後援という形でスタート。2003年度までは、RMIT大学後援にて開催。以後、2004年度より、アクティベータネットワークジャパン事務局主催、AMI社後援にて開催される。アクティベータネットワークジャパン事務局を開設 AMI社公認のアクティベータネットワークジャパン公式ホームページを立ち上げる。AM認定者は、このホームページと、AMI社ホームページのドクター紹介リストに掲載される |
2002 | 4 | AMセミナー受講生の先生方や学生の有志が、極真会館主催の全アジア空手道選手権大会に、ボランティアケア参加 |
7 | AMI社インストラクターセミナーにて、保井志之D.C.が、AMI卒後教育セミナーを統括する日本地区ディレクターに就任。須藤一彦D.C.が、Clinical Associate Instructorの認定書を授与される | |
9 | 国内で第一回目のAMI社公認アクティベータベイシック認定者が誕生する。米国と同等の認定書が日本国内で授与されるのは初めてとなる | |
2003 | 10 | 静岡県で開催された第58回国民体育大会に、ボランティアケア参加。地元出身のAM上級認定増田裕D.C.の申し入れにより、ハンドボール競技のカイロプラクティック ボランティア・ケアとして参加した。カイロプラクティックケア団体として、国体における初めての参加となる |
2004 | 2 | AMI社主催で毎年開催されるハワイセミナーに、日本国内から14名の学位保持者が参加 |
7 | 保井志之DCと須藤一彦DCが米国フィニックス州でのAMI社主催インストラクターカンファレンスに招待される。 | |
4 | 国内でAM卒後教育プログラムが始まって以来、初めてアクティベータメソッドの創始者であるDr.Fuhrの来日セミナーが開催される。菊地光雄B.C.Sc.総監督指揮の下、総勢11名のスタッフの協力により、国際基準卒後教育プログラムDr. Fuhr来日AMセミナーが開催される | |
7 | 須藤一彦D.C.・菊地光雄B.C.Sc.・岩崎久弥B.C.Sc.・山中英司B.C.Sc.・保坂義明B.C.Sc. がAMI本部インストラクターセミナーに参加。須藤一彦D.C.がシティ・コーディネータ・オブザイヤーで表彰される。菊地光雄B.C.Sc.がClinical Associate Instructorの認定書を授与される | |
2005 | 6 | 山中英司B.C.Sc.が責任者としてAMセミナー受講者を募り24時間チャリティーinゆめのしまボランティア活動に参加 |
2006 | 7 | 保井志之D.C.が米国フェニックス州でのAMI社主催インストラクターカンファレンスに招待され保坂義明B.C.Sc.が同行する |
4 | カイロプラクティック国際基準以外の国内有資格者などを含む国内認定者制度を開催 | |
7 | 保井志之D.C.が米国フィニックス州でのAMI社主催インストラクターカンファレンスに招待され山中英司B.C.Sc.が同行する | |
2007 | 7 | 保井志之D.C.がAMI社主催インストラクターカンファレンス、ならびに40周年記念行事に招待され、菊地光雄B.C.Sc、岩崎久弥B.C.Sc、保坂義明B.C.Sc.が同行する |
2008 | 東京に加えて大阪でのセミナーが開催される | |
2009 | 3 | 保井志之D.C.をリーダーに、菊地光雄B.C.Sc・岩崎久弥B.C.Sc・保坂義明B.C.Sc・山中英司B.C.Sc・国井継之介B.C.Sc・朝倉穂高B.C.Scの共同監訳にてエンタプライズ社より「アクティベータ・メソッド・第二版」の日本語版テキストが日本国内で販売される |
東京、大阪に加えて、湯布院でのセミナーを開催 | ||
2010 | 第2回目となるAMI社主催のハワイセミナーに参加 | |
2011 | 東京、大阪に加えて、福岡でのセミナーを開催。認定試験に必要な単位有効期間などを一部修正。ANJ10周年記念パーティーが開催される | |
2012 | 7 | 保井志之DCがAMI社主催45周年記念インストラクターカンファレンスに招待される |
2013 | 4 | Dr. Fuhr再来日セミナー開催。米国で長年AMインストラクターを務めているDr.デビータ、Dr. ロバートも来日。東京での国際セミナーが盛大に開催される |
7 | 保井志之D.C.がAMI社主催インストラクターカンファレンスに招待される | |
2015 | 7 | 保井志之D.C.に同行して、菊地光雄B.C.Sc、国井継之介B.C.Sc、土子勝成B.C.Scが米国で開催されたAMI社主催のインストラクターカンファレンスに参加 |
2016 | 10 | ANJ15周年記念パーティー開催。歴代インストラクター(岩崎先生、山中先生、朝倉先生)、協力企業(エンタプライズ北島様、陽春堂小久保様)ご参加 |
2017 | 2 | AMI社のカリキュラム変更に伴い、プログラム名称を「基礎編」「四肢・脊椎編」「臨床編」に変更 |
7 | アクティベータ・グローバル・リーダーシップ・カンファレンスおよびAM創立50周年記念式典が開催された。アクティベータ・ネットワーク・ジャパンからは5名が参加。(AMI公認日本地区ディレクター保井志之、ANJスタッフ菊地光雄、土子勝成、野間実、吉田美和子) | |
2019 | 2 | ANI主催のハワイセミナーに参加。(総勢16名) |
2020 | 8 | 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、4月に予定していたセミナーを中止し、8月に延期して開催 |
10 | コロナ禍のためセミナー形態を「オンライン講義+OneDay実技セミナー」に変えて東京、福岡で同日開催 | |
12 | OneDay実技セミナー大阪開催 | |
2021 | 4 | 昨年に引き続き「オンライン講義+OneDay実技セミナー」の形で開催 |
文責:アクティベータネットワークジャパン事務局